私の父は、軽い脳梗塞を繰り返しながら10年位、両手に杖を持ってなんとか自分で歩いて、膝の手術やら大腸ポリープ手術やらもしましたが、自宅で過ごしてました。でも家の中でも転ぶことが多くなって、自分から入院すると言って、亡くなる半年前位に老健施設に入って母が「また家に戻るよ」と言っていた矢先に、風邪から肺炎になり病院入院して1ヶ月半位で亡くなってしまいました。いざ入院したら今度は「死にたくない」と騒いで、食いしん坊だった父が何も食べれず飲めず、点滴の管と排尿の管をつけて、タン吸引してもらったりしながら、私がお見舞いに行くと「こんな筈じゃなかったんだよ」って顔をしていました。でもまだ声が出た時は帰り際に「がんばれよ〜」と私に言ってくれたのです。
私はそんな辛そうな父の身体をマッサージしてあげたり、遠隔外気療法したりしましたが、やはり最期に近づいているので、父の手を握りながら「お父さん、あの世は怖くないからね」と父にもみせるつもりで、美しい宇宙空間を想い描いていました。私が病院に行くのは週1回、電車に乗って夜の病院へ見舞いに行っていました。そして、入院してから1ヶ月半位後の私が見舞った翌朝に父は静かに逝きました。父が亡くなってから今日までまた10年半位経ったと思います。
入院してからのあの苦しい辛い時間は、父が仏様になる時間だったと思います。そして家族の心も仏様になる時間だったのだと思うのです。最期は思い残すことなく父は逝き、家族も思い残すことなく看送れたのだと思うのです。
私の好きな言葉に道元さん(日本における曹洞宗の開祖)のこんな言葉があります。『ただ わが身をも心をも はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる』
父が逝って長らく、私が「父さん」と思えば、光の粒子になった父の存在をすぐ近くに感じていました。最近では光の粒子というよりも父の笑顔が浮かんできます。
「お父さん、ただただ、ありがとう」
下の写真は、井の頭公園のオオバンの親子です。


