お彼岸。此岸にいる今の私。彼岸はどんなところだろうか?命の始まりが宇宙の始まりだとしたら、たくさんの形になって存在していたのだろう。目に見える形でない時、彼岸にいたのだろうか?・・・思考遊びになってしまう。
氣功で、さまざまな功法をしてみてきた。昨日、やり方はとても簡単な功法で、面白い体験をした。亀になって呼吸をする功法で、呼吸を終えて、ただ亀になって座っていたら、本当に亀になって亀として存在していた。その時間はまさにゆっくりで「悠久の時間」。微動だに動いていないようである。だから、周りの全てのものがよ〜くかんじられる。風、風にそよぐ蓮、虫、魚、鳥、木々、山、雲、空、、、人も。
『蟲師』というアニメがあって、その一編で山の主が亀の話があった。苔がいっぱい生えて微動だにしない亀が、その山の主様で、嵐か何かで荒れ果てた山を癒すために、山を閉ざして、冬のままにしているのだ。周囲の山はどんどん春になっていくのにその山だけ雪が積もり冬篭りしている。でも生き物たちは鉱脈の中で眠り、癒されエネルギーを蓄えていく・・・亀である主様は、その全てをかんじながら、守っている。亀になって座っていたら、そんなシーンが一瞬にやってきて、面白い体験だった。
時間は、空間の移動のこと。私が今ここにいると思っても宇宙の中を地球という乗り物に乗って旅している。だけど、一瞬をとれば、『今、ここ』なのだ。『今、ここ』に意識を置いて生きていれば、他に何も無い。でも、ここに居るありようが、それぞれ異なる。前述のことは、わかりやすく亀のようなありようを私なりに体験してみたということなんだと思う。日常の中でも人それぞれ、その時々、ありようが異なっている。私自身も気功法の中だけでなく、歩いていても、家事をしていても、自分の広がり方一つとっても、そのありようはいろいろだ。私という人は、いったい、どの位の体験ができるのか、これからも楽しみにして、気功をしていきたいとまた新たに思う。そして、できるだけ、明るく、幸せに、喜びに満ちて、ありたい。少なくても私は私の主様だから。



